どうも、ジョーイです。
今回のテーマは「孤独」についてです。
なんか重そうなテーマですかね。
孤独ってワードを聞くとどんなイメージを抱きますか?
- つらい
- 切ない
- 悲しい
- さみしい
- おもんない
- ひとりぼっち
- 逆に孤高な気がしてかっこいい
などでしょうか。
まあなんせ、多くの人はネガティブなイメージを連想する言葉なんじゃないですかね。
孤独を恐れる人は多いですよね。
程度の差はあれ、一人でいることが嫌だと感じる場面は多い。
ひとりで飯いくのが嫌だったり、飯はいいけど一人旅となるときついわとか。
孤独を嫌うのは、人間の自然な感覚だと思います。
大昔、狩りをして生活していた時代の人間は、みんなで協力して獲物をしとめていたし、分け前をコミュニティに分配して飯を食っていた。
だから、仲間外れにされたら飯が食えない=死ぬこととほぼイコールでした。
そういったところから、DNAレベルで人間は仲間外れ、孤独、そういったものを恐れるんでしょう。
だからまあ、みんな孤独でいるのは怖いと。
それは自然なことであると。
問題なのは、病的なまでに孤独を恐れる人です。
色んな人の相談乗ってると、そういう方って結構いらっしゃいます。
孤独とコンプレックス

相談に来られる方などでたまにいらっしゃるのが、
「彼女や恋人がいないことに死ぬほどのコンプレックスを感じている。彼女的な人がいさえすれば人生幸せなのに、いないから俺の人生はつまらないんだ。何で俺だけこんなつらい目に。死にたい。」
「友達が全然いないのがめちゃくちゃつらい。苦しいです。鬱です。」
みたいな悩みです。
なんせ、ちょっと病的なニュアンスで孤独さに悩んでおられる方々ですね。
ここまでくると、問題があると思われます。
なにが問題か?
ずばり、「人生が他人次第になっている」ということです。
彼女がいさえすれば人生楽しくて、彼女がいないから人生が楽しくないと思いこんでいる男性は、「人生が彼女次第」になってますね。
「友達がいれば・・・」の方は「人生友達がいるか次第」になってます。
自分の人生の幸福とか楽しさ、主導権を他人に委ねてしまっている。
その捉え方だと、『自分の人生を自分でコントロールできない』ということになってしまう。
そら生きづらいです。
当たり前のことをいうと、人生はどこまでいっても自分次第なのです、そもそも。
自分は自分しか変えられない。
陳腐な言い回しであるけれども。
他人依存の人生がおもろくなりようがないのは明白です。
この状態じゃ、仮に彼女や友達ができて、仮に一時的に人生楽しく感じたとしても、彼女や友達を失ったら終わりですからね。
つまり、まずは「自分の人生は自分次第!」という当たり前の感覚を取り戻すのが、何よりも先決であると。
「自分の人生は自分次第!」とさわやかに思えている状態ではじめて、毎日楽しくなる。
ですし、その状態じゃないとまともな彼女や友達なんてできませんからね、基本的に。
メンヘラと一緒にいたい人間って、同じくメンヘラの人しかいませんもん。
ちょっと辛辣ですけども。
ただ、『人生自分次第感』を失ってしまうのも、仕方ないことかとは思います。
現代は特にね。
僕たちが人生の主導権を失ってしまいがちな理由

なぜ、『人生は自分次第である』という主体性を失いやすいのか?
ひとつは、インターネットのせいです。
とくにSNSの影響。
会ったこともない人々の、きらびやかでおもろい風の生活の様子、マウント、自慢。
キラキラしてそうな人々とつるみ、キラキラした場所に行っている姿をアップする。
「こんな生活、いいでしょ?あなたもしたいでしょ?」の無意識の押しつけ。
雑に言うと、こういったものでインターネットはあふれています。
インターネットがなかった頃は、そんなもん目には入ってきませんでした。
現代では、生きてるだけで楽しそうな他人の様子が目に入ってきます。
で、すぐに比較するんですね。
「こいつらはこんなに楽しそうな人たちと楽しそうに生活してるのに、おれは・・・くそぉ・・・」みたいにw
冷静に考えればわかりますが、SNSなんぞ、いいところを切りとってアップしてるんですから、煌びやかに見えるのは当然です。
心配せんでも、別にそいつらはそんなおもろい毎日だけを送ってたりしないですw
ほんとにおもろい毎日送っている人々は、基本的にSNSとかほぼやってないです。
仕事では使いますけどね。
彼らは、承認欲求をネットで満たさなくても幸せです。
それに、SNSなんてみてても基本的に害しかないことに気づいています。
もしくはリアル主義すぎてほぼネットの世界に興味ない人ばかりです。
ってことで、仕事以外でSNS中毒になっている人は、マジで全辞めしましょう。
ほんと意味ないんで。
そんなことをしているから人生おもんないんです。
と言い切りますわ。
適度にSNSやネットと付き合えてるならいいんですけどね。
SNSやネットがない時代も、メディア・社会・他人の圧力で、孤独への恐怖を煽られる、みたいなことはあったと思います。
ネットのせいでそれが100倍加速した、みたいなイメージですね。
己の孤独と上手く付き合っていくというスキル
あとね、インターネットから派生して、もういっこ言いたいことがあります。
それは、ネットやスマホが普及しすぎて、安易な娯楽が多すぎるということです。
雑に言うと、ヒマな時間をSNSやYouTubeやスマホゲームその他などで簡単に満たせてしまう、ということです。
こういう娯楽って、死ぬほどおもろいわけではないのは自分でもわかっているのに、なんとなく50点くらいの楽しさは得られてしまうし、だらだらと何時間も消費してしまいませんか?
ネット普及以前は、ヒマな時間にすることって
- 体を動かす
- 趣味をやる
- ぼーっとする
- 人と会って話す
- 何となく思索する
とかくらいしか選択肢がなかったんですよ、多分。
だから、なにもしてなくて、脳がヒマな時間っていうのがけっこうあった。
なんとなくヒマをうっすら満たせてしまう手段ってのがそんなになかったから。
でも現代は、ジャンクな刺激が世の中にあふれすぎてる。
だから、脳がヒマに耐えられなくなってる人ばっかりなのです。
常に、脳に何らかの刺激がかかっていないといけない。
刺激中毒なんですね。
人間ってのはヒマなときに自分と向き合う。
ヒマがないと自分と向き合う時間がない。
つまり、自分の内側にある孤独とがっつり向き合う時間もないってことです。
孤独って、人間みんな抱えてる自然なものです。
生まれたときから手足があるように、人生と孤独はセットです。
だから排除しようとするんじゃなくて、うまくつきあうべき。
うまくつきあうには、「自分の孤独」のことをよく知らなくてはならない。
- 孤独に対して思うこと
- 孤独を感じたときの自分の体感
- どういうときに孤独を感じるのか
- どういう孤独は好きで、どういう孤独は嫌か
- 孤独が怖いなら、そもそもそれはなぜか。なにか原体験があるのか
- どういう人間関係を、どういう人と構築したら自分はハッピーなのか。孤独は癒されるのか
- 人間関係以外で、孤独を癒せるような活動はないか
などについて考え、自分の内面をみつめてみる。
するとね、「孤独に対して抱いていた恐怖って幻想だったわ~」って、たいていなります。
幻想って気づけば、孤独とうまくつきあえるようになります。
幻想だと気づいても怖いもんは怖いですけど、幻想だってわかってるので、恐怖一色に心が染まってパニックみたくなることはなくなりますね。
なんせ、自分の孤独を見つめる時間が少なすぎて、何がなんやらわからない人が多い。
孤独が嫌なら、逆に孤独を「徹底して」見つめてみましょう。
そんなに嫌なもんでもなくなります。
という話でした。
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